蔦屋重三郎
江戸時代/1750~1797
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江戸時代、後にメディア王と呼ばれる蔦屋重三郎はいったいどんな土地を踏みしめて生きたのか。 田沼時代の波に乗り大成功を収めた重三郎、次々と才能を見出して世に送り出していきます。 その生涯の足取りを地図で追ってみました。
蔦屋重三郎の足跡
年表
- 1750年|寛延3年|1歳
1/7、吉原で生まれる
- 1772年|安永元年|23歳
吉原大門口の五十間道で書店耕書堂を開店
- 1773年|安永2年|24歳
吉原細見の販売開始
- 1774年|安永3年|25歳
7月、最初の出版物、遊女評判記「一目千本」を出版
- 1775年|安永4年|26歳
7月、吉原細見の出版を開始
- 1777年|安永6年|28歳
富本節正本・稽古本を出版できる株を取得 冬、五十間道東側堤寄りの家田屋半兵衛方跡へ移転
- 1780年|安永9年|31歳
黄表紙、洒落本、往来物の出版開始
- 1783年|天明3年|34歳
9月、通油町の地本問屋・丸屋小兵衛の店舗と蔵を買取り移転、地本問屋の株も入手、狂歌本の出版開始(後に狂歌絵本も出版)
- 1785年|天明5年|36歳
10月、狂歌会を催し、「狂歌百鬼夜狂」を刊行
- 1787年|天明7年|38歳
松平定信が寛政の改革開始、娯楽の取り締まりが始まる
- 1788年|天明8年|39歳
1月、朋誠堂喜三二「文武二道万石通」出版、発禁処分 鶴屋喜右衛門、曲亭馬琴と日光・中禅寺湖へ旅行
- 1791年|寛政3年|42歳
3月、書物問屋仲間に加入、出版取締令違反により山東京伝の洒落本「仕懸文庫」など3冊が絶版、身上に応じた重過料の判決が町奉行所で下る
- 1794年|寛政6年|45歳
5月、東洲斎写楽の役者絵を大量に出版(翌年1月まで)
- 1795年|寛政7年|46歳
3/25、伊勢松坂で本居宣長と対面
- 1796年|寛政8年|47歳
秋、脚気が重くなり病の床に就く
- 1797年|寛政9年|48歳
5/6、病没
日付表記について:日本でグレゴリオ暦が正式に採用された1873/1/1を超えた人物は、グレゴリオ暦での日付を記載しています
参考文献
蔦屋重三郎と田沼時代の謎
安藤優一郎 / PHP新書
蔦屋重三郎とその時代。
pen BOOKS / CCC Media House
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