徳川家康
室町時代 戦国・安土桃山時代 江戸時代/1542~1616年
動画でたどる
約260年続く江戸幕府を開いた徳川家康。 織田氏・今川氏に挟まれた弱小国の若様として始まり、波乱を経て頂点を極めた生涯の足跡を地図で追ってみました。
徳川家康の足跡
足跡地域
足跡地
- 平泉
- 実相寺
- 白河
- 二本松城跡
- 古河城跡
- 宇都宮城跡
- 祇園城跡
- 岩槻城跡
- 忍城
- 川越城
- 浦和
- 戸田
- 鴻巣
- 仙波
- 越谷
- 東金
- 千葉
- 船橋
- 江戸城跡
- 府中
- 傳通院
- 品川
- 芝
- 増上寺
- 葛西
- 箱根山
- 小田原城
- 玉縄
- 藤沢
- 鶴岡八幡宮
- 中原
- 金ヶ崎城跡
- 甲府城跡
- 新府城跡
- 上諏訪
- 岐阜城
- 赤坂
- 桃配山
- 関ヶ原古戦場
- 大垣城跡
- 加納城跡
- 今川居館跡
- 井伊谷城跡
- 刑部城跡
- 宇津山城跡
- 曳馬城跡
- 掛川城
- 浜松城
- 三方原古戦場
- 二俣城跡
- 犬居城跡
- 境
- 鳥羽山
- 光明城跡
- 諏訪原城跡
- 小山城跡
- 横須賀城跡
- 馬伏塚城跡
- 田中城跡
- 見付
- 高天神城跡
- 興津
- 大宮城跡
- 江尻城跡
- 沼津城跡
- 駿府城
- 中泉
- 長久保城跡
- 山中城跡
- 三島
- 島田
- 清見寺
- 熱海温泉
- 善得寺跡
- 相良
- 清水
- 彦根城
- 浅畑
- 金谷
- 瀬名
- 岡崎城
- 名古屋城
- 寺部城跡
- 丸根砦跡
- 大高城跡
- 大樹寺
- 牛久保城跡
- 上ノ郷城跡
- 吉田城
- 上和田城跡
- 田原城跡
- 長篠城跡
- 長篠古戦場
- 吉良
- 深溝
- 西尾城跡
- 鳴海城跡
- 星崎城跡
- 清洲城
- 小牧山城跡
- 小幡城跡
- 長久手古戦場
- 蟹江城跡
- 岩倉城跡
- 重吉城跡
- 佐久島
- 熱田神宮
- 一宮
- 野間海岸
- 大御堂寺
- 知多
- 牟呂
- 佐屋
- 柘植
- 伊勢鹿伏兎
- 四日市
- 白子
- 亀山
- 桑名
- 姉川古戦場
- 番場
- 安土城跡
- 信楽
- 大津城跡
- 石部
- 近江八幡
- 草津
- 永原
- 矢橋
- 水口
- 膳所城跡
- 京都
- 東福寺
- 宇治田原
- 聚楽第跡
- 笠置
- 伏見桃山城
- 西本願寺
- 知恩院
- 豊国社
- 京都御所
- 淀城跡
- 相国寺
- 二条城
- 追分
- 堺
- 大阪城
- 住吉
- 茶臼山
- 星田
- 平野
- 大和郡山城跡
- 興福寺
- 吉野
- 奈良奉行所跡
- 法隆寺
- 下関
- 名護屋城跡
年表
- 1542年|天文11年|1歳
12/26、三河岡崎城で誕生
- 1547年|天文16年|6歳
8/2岡崎発、今川氏へ人質として送られる途中、戸田康光に奪われ、尾張織田氏の人質となる(10月までに名古屋着、熱田か名古屋で暮らしていたと言われる)
- 1549年|天文18年|8歳
11月、織田・今川の人質交換で駿府へ(途中で岡崎の父広忠墓所へ詣でる、11/29駿府着)
- 1558年|永禄元年|17歳
2/5、今川義元の命で岡崎に帰り、寺部城の鈴木重辰を攻める(初陣)、その後駿府へ戻る
- 1560年|永禄3年|19歳
5/12までに今川氏の三河侵攻の先鋒として駿府出発、5/18大高城へ兵糧入れ 5/19、夜明け前に丸根砦を攻め落とし、大高城入り、その後桶狭間の戦い勃発、夜半に大高城を出て5/20に岡崎大樹寺、5/23に岡崎城入城
- 1561年|永禄4年|20歳
4/11、今川方と三河牛久保で戦う(今川氏と決別) その後時期不明だが、織田信長と同盟
- 1562年|永禄5年|21歳
2月、宝飯郡上之郷城主の鵜殿長照を攻め勝利 5-6月、宝飯郡で富永・牛久保・吉田などを転戦 9/29に宝飯郡八幡で今川氏真と、10/13に額田郡大代口で戦ったが引き分け?
- 1563年|永禄6年|22歳
9月、家康家臣団を二分する三河の一向一揆が勃発(拠点寺院;額田郡佐崎の上宮寺、碧海郡野寺の本証寺、額田郡針崎の勝鬘寺)
- 1564年|永禄7年|23歳
1/11、一揆勢が大久保一族が守護する額田郡上和田砦を攻めその救援に向かう 2/28、一向一揆を鎮圧
- 1565年|永禄8年|24歳
3月、渥美郡吉田・田原城を攻略
- 1568年|永禄11年|27歳
2月、武田信玄と同盟 12月、武田信玄と呼応して遠江侵攻、井伊谷・刑部・白須賀・宇津山の諸城を落とし、12/18引馬城に入り、12/27掛川城の今川氏真を攻める
- 1569年|永禄12年|28歳
5/15、掛川城開城(閏5月までに浜松着)
- 1570年|元亀元年|29歳
3/05、織田信長に随って上洛(2月までに岐阜、3/5に京都着) 4/20、信長の越前朝倉攻めに参陣、4/25越前着 浅井長政反旗、越前敦賀発、朽木谷を越え、4/30以降京都着、5/3以降岡崎着、6月までに引馬着 8月、武田信玄と絶縁、上杉輝虎と同盟 9/12、引馬城を改修し入城、引馬を浜松と改める 10/2までに京都東福寺・清水・粟田口あたりに着陣(志賀の陣)
- 1571年|元亀2年|30歳
12月、小田原から逃れた今川氏真を浜松で受け入れる
- 1572年|元亀3年|31歳
12/22、三方ヶ原の戦いで武田軍に敗れる
- 1573年|天正元年|32歳
2/4までに吉田着 4/12、武田信玄死去(その後?岡崎から浜松へ戻る) 9/10、浜松発、長篠城を攻め落とす、浜松へ戻る
- 1574年|天正2年|33歳
1月、遠江二俣城を攻める 4/06、遠江犬居城を攻めるも落とせず 6/19、高天神城を武田勝頼に落とされ、援軍に来ていた織田信長・織田信忠の出馬を謝すため吉田城へ、その後浜松へ戻る
- 1575年|天正3年|34歳
4/29、武田勝頼による吉田城攻め、家康も吉田城に追い込まれる、その後5月に入ると勝頼は長篠城を囲む 5/6浜松発、岡崎を経て5/18長篠着、5/21長篠の戦いで勝利、5/25に岐阜の信長の元へ行く、浜松を経て6/2駿河の伊豆境まで侵攻、その後浜松へ戻る 鳥羽山を本陣として二俣城を攻めるが落とせず 6/24、遠江周智郡光明城を落城させる 8/24、榛原郡諏訪原城を落城、牧野城と改名、その後榛原郡小山城を攻めるが落とせず、牧野城へ引く
- 1576年|天正4年|35歳
3月、武田勝頼が高天神城に兵糧入れするのを聞き、横須賀・瀧堺に兵を出す 遠江犬居城を攻め、8月に駿河へ入るが、勝頼出兵を聞き遠江中郡に引く、浜松着
- 1577年|天正5年|36歳
8月、遠江(横須賀?)に出陣、武田と攻防 10月、横須賀の馬伏塚城に兵を出す、武田勝頼が引いたため10/22浜松着
- 1578年|天正6年|37歳
3/7頃出陣、3/9駿河田中城、3/13遠江引佐郡今城を攻め、3/18頃浜松着 5月、駿河へ行き、浜松着 7月、駿河へ軍勢を動かす 8/21、遠江小山城を攻める、9/4榛原郡牧野、9/6浜松着 戸田康長の祝言を祝うため岡崎へ、9/12着、浜松9/14着 11/2、武田勢の進出を受けて馬伏塚に陣取る、11/3総社山に陣後本陣、11/4佐野郡、11/30浜松、12/2岡崎着、その後浜松着
- 1579年|天正7年|38歳
1月浜松発、1/19岡崎、1/20吉良鷹狩り、1/29深溝・吉良発、浜松着 3月、馬伏塚まで出陣、勝頼が引き帰陣(4/7浜松で徳川秀忠誕生) 4/26、再び馬伏塚まで出陣、駿河田中城を攻め、4/29浜松戻る 6月、徳川信康と徳姫の間が険悪となり6/5浜松発、岡崎へ、6/7浜松着 8/5浜松発、西尾着、8/7に岡崎着、8/13浜松着(8/29築山殿殺害、9/15信康自刃への動き?) 9/5、武田勝頼と同盟を解消した北条氏政から勝頼挟撃の約束の使いが来る 9/17浜松発、駿河着、9/25井籠に戻り、9/30遠江牧野、10/1浜松戻る 10/19、掛川へ出陣、10/24牧野、浜松にいったん戻り、11/11掛川、11/12馬伏塚、11/14浜松帰る、11/27見付まで出兵、勝頼が引いたため11/28浜松着
- 1580年|天正8年|39歳
1/16浜松発、岡崎着、1/24岡崎発、西尾着、鷹狩り、1/27岡崎着、2/5頃浜松着 2/17岡崎へ行き、信長娘の徳姫を安土へ送る、2/21浜松着 3/17、高天神方面へ出兵 5/1掛川出陣、5/3に駿河田中、5/5に合戦、掛川に戻り浜松へ帰る 6/10、横須賀まで出陣、浜松に帰陣 7/20、浜松発掛川着、7/24田中筋・小山筋で苅田、7/26掛川、7/27浜松着 10/12、高天神城へ向け出兵、10/28に馬伏塚、12/22浜松へ(信長使者を送るため)
- 1581年|天正9年|40歳
1/01、正月は陣場 3/22、総攻撃、高天神城を落として奪還、3/24浜松帰陣 6/28、見付まで出馬 12/15、馬伏塚で鷹野
- 1582年|天正10年|41歳
1/14、岡崎へ出向く 2/18浜松発、掛川まで出陣、2/19牧野、2/20駿河田中城を落とし、2/21に駿河府中へ 3/8駿河興津、3/9「まくさ」に進み、3/10甲斐西八代郡市川、3/11織田軍により武田氏滅亡、甲府へ出向く、3/14甲斐発、3/17に諏訪に赴き、3/19信長を上諏訪で迎え、3/23に甲斐市川へ戻る 4/3以降、甲府に入った信長に従う、4/10甲府から東八代郡右佐口、4/11西八代郡本栖、4/12駿河富士郡大宮、4/13江尻、4/14田中、4/15掛川、4/16浜松 5/11穴山梅雪と浜松発、岡崎泊、5/14近江坂田郡番場、5/15安土で信長から饗応、5/21京都、5/29堺着で松井友閑から饗応、6/1茶会 6/2、本能寺の変勃発、堺発、山城宇治田原で一泊、6/3近江信楽の小川村で一泊、6/4伊賀柘植・伊勢鹿伏兎・関・四日市を経て、那古(または白子)に至って船に乗り、三河大浜に着岸、遅くとも5日には岡崎城に入る 6/14、信長の弔い合戦のため浜松を出陣、尾張鳴海へ、山崎の戦いの結果を聞き、6/21に浜松へ帰る 7/3浜松発、掛川泊、7/4駿河田中泊、7/5江尻泊、7/7大宮着、7/8「しやうし」泊、7/9甲府着 8/08、北条氏直が南下、甲府から新府へ移る 10/29、北条氏と和睦成立、その後甲府へ戻る 12/12甲府を出発、12/16浜松着
- 1583年|天正11年|42歳
1/16浜松発、岡崎着、1/18星崎で織田信雄と会う、1/20吉良で鷹野、閏1/1浜松着 3/19頃浜松発、3/28までに甲府入り、信濃・甲斐・駿河の仕置がひと段落着き、5/9に浜松に帰る 8/24、甲斐に再び出馬し甲府入り、甲斐の仕置後、10/2駿河江尻、駿河の仕置後に12/4浜松へ
- 1584年|天正12年|43歳
3/07三河吉田、岡崎入り、3/8岡崎発、3/13尾張清須で織田信雄と会見 3/17、尾張と美濃の境の羽黒で池田恒興・森長可に勝利、3/28清須から小牧に陣替え 4/08、小牧山を発ち小幡城へ入る、4/9朝に小幡城を出て羽柴秀次隊を急襲、堀・長谷川隊、池田・森隊を破る(長久手の戦い)、4/10には小牧山に帰陣 6/12、竹鼻城が落ちたため、小牧から清須へ退く 6/16、滝川一益が尾張蟹江城へ侵攻、清須を出発、6/18下市場城を攻め、九鬼嘉隆を海上へ追いやる、その後7/3蟹江城も奪還 7/05伊勢に入る、7/13に清須へ戻る、8/18頃小牧に戻る、8/28清須から尾張岩倉へ、9/7尾張中島郡重吉に陣を移す、9/27には重吉から清須へ戻る、10/11小牧、10/17浜松へ帰る、11/1浜松発、11/9清須、11/11羽柴秀吉と信雄会見、講和成立、11/16兵を引き、11/21西三河西尾から深溝を通り浜松へ
- 1585年|天正13年|44歳
1/16岡崎、2/1浜松へ帰る、4月頃甲斐、6/7浜松 7/19浜松発、秀吉側についた真田昌幸に対して上田城攻め、敗退、閏8/8に再度上田城攻め、敗退 9/15駿府から浜松へ帰り、9/25に三河吉田、9/26西尾、9/30岡崎、10/3浜松 11/13、石川勝正・小笠原貞慶が秀吉のもとへ出奔 11/15浜松発、吉田、11/16岡崎、11/22西尾、11/27岡崎、12月年末には浜松に帰る
- 1586年|天正14年|45歳
1/10浜松から岡崎へ、1/27織田信雄と会い秀吉と和議、1/29浜松 2/26駿府、3/9伊豆三島で北条氏政と対面、3/11沼津で氏政と対面、3/21浜松帰城 7/17上田の真田昌幸を攻撃するため駿府へ出馬、秀吉の仲介で取りやめとなり8/20浜松帰る 9/07駿府へ、9/11駿府城へ屋渡りの儀式、9/13浜松へ戻る 9/24秀吉からの上洛催促の使者が岡崎へ、岡崎に入る、9/27浜松へ 10/14浜松発、三河吉田泊、10/15吉良、10/16西尾、10/20岡崎発、10/24京都、10/26大坂の豊臣秀長屋敷泊、夜に秀吉がやってきて入魂を確認、10/27大坂城で秀吉に臣従の礼、10/30大坂発、京都着、11/5秀吉に伴い参内 11/08京都出発、11/11尾張大高から岡崎、11/20浜松、12/4駿府へ帰る
- 1587年|天正15年|46歳
3/11駿府から遠江、3/17駿府 7/29岡崎、8/5秀吉に近江大津で出迎えられて入京、8/11京都発、8/13船で田原着、8/14岡崎、8/17まで岡崎、その後駿府へ 9/18、三河田原で鹿狩り、9/19小松原、9/21田原で鹿狩り、10/3田原から駿府へ帰城、11/23駿府発、田中泊、12/3岡崎、12/9西尾で鷹野、12/18まで西尾、12/18岡崎、12/19駿府
- 1588年|天正16年|47歳
1/29遠江中泉へ鷹野、2/5駿府 3/1上洛のため駿府発、中泉泊、3/6岡崎、3/14岡崎発、3/17より後京都、大坂、3/18には京都に戻る、3/29秀吉と鷹野、4/14-18平安京内裏跡の聚楽への後陽成天皇の行幸、4/27駿府着 6/23、秀吉母大政所の病気のため岡崎着、7/2より前に京都、8/29豊臣秀長の迎えで大和郡山へ、9/1奈良興福寺成身院、9/2笠置、9/4田原、駿府 11/22岡崎へ、12/21吉良へ鷹野、12/24吉良から駿府へ帰る
- 1589年|天正17年|48歳
1/29、鷹野のため遠江中泉、2/4駿府 2/28駿府発、田中泊、3月初旬に京都、5/22参内、6/4京都発、6/7船で田原、6/8中泉、岡崎に寄らず駿府へ 8/27駿河富士郡大宮、8/28甲府、9/26郡内を通って沼津、駿府 11/24、北条氏に裁定を無視された秀吉が北条氏政に弾劾状 12/3吉田から岡崎、12/5岡崎発、上洛、12/10聚楽第、12/16西尾、12/17岡崎、12/18吉田、駿府
- 1590年|天正18年|49歳
2/10駿府発、賀島へ、2/21富士川に船橋を架け、2/24駿河駿東郡長久保、2/25沼津着陣、3/20秀吉を迎えるため長久保から駿府、3/22長久保へ戻る、3/27駿河の三枚橋で秀吉を出迎え、3/29伊豆山中城攻略、4/1箱根山近くに陣、4/2-3小田原まで進み、城近くに砦を築く、7/10に小田原城入城 7/13、秀吉が小田原城入城、駿河・遠江・三河・甲斐・信濃5国に替えて武蔵・相模・上総・下総・伊豆・上野大半・下野一部を与えられる、7/16小田原発、7/18江戸着?、8/1江戸入城?、8/4以前に宇都宮で奥州仕置中の秀吉に会う
- 1591年|天正19年|50歳
1/5、蒲生氏郷援助のため岩槻まで出陣、1/13江戸に戻る、1/14武蔵府中で豊臣秀次と会見 閏1月、清須で秀吉に謁し、閏1/22までに入京、3/11京都を発ち、3/21江戸に帰城 7/19江戸城出発、岩槻着、7/27陸奥国白河、8/7までに二本松着、浅野長吉・伊達政宗・蒲生氏郷らと会する、8/15三之関、8/18岩手澤の実相寺を宿所、約一か月滞在、9/1-9/4の戦闘で九戸の乱終結、9/15までに秀次の供で平泉経由、関に着く、10/16白河、10/27古河、10/29には江戸に戻った様子、11/23岩槻に鷹野、そのまま12/3小田原、12/14徳川秀忠に会い、玉縄、神奈川を経て12/17江戸着
- 1592年|文禄元年|51歳
2/2江戸発、神奈川宿、2/24以前に京都、3/17京都発、4/25以前に肥前名護屋着(古里町在陣)
- 1593年|文禄2年|52歳
8/22赤間関、8/29大坂、まもなくして入京、9/5伏見、その後京都にいながら京都・伏見に出向く、閏9/13伏見城普請の縄張りのため伏見へ日帰り、閏9/22秀吉茶会のため伏見へ 10/14京都発、10/22三島、10/23小田原、10/24「こい田」、鎌倉、10/26江戸着
- 1594年|文禄3年|53歳
2/12江戸発、2/18遠江中泉、2/24京都、1595/5/3まで京・伏見・大坂を行き来、2/29吉野の歌会に参加、3/9に京都に戻る、3/13-14伏見、3/15京都、3/17伏見、3/25京都に一旦行くがすぐ伏見、4/1秀吉に供して京都、5/4大坂、5/18京都、6/1伏見、6/18京都、7/5伏見、7/12京都、8/1大坂、8/3京都、9/1伏見、このころから拠点は伏見、10/16秀吉と共に上洛、11/3伏見、11/30秀吉のお供で上洛、12/13伏見、12/18聚楽第、その後伏見で年越し
- 1595年|文禄4年|54歳
2/7、大坂で秀吉、前田利家と蒲生家跡目相談、2/16までに伏見 3/15京都、4/10伏見、4/11京都、4/20伏見から京都、4/28上洛 5/3京都発、5/13小田原、その後江戸へ 7/15、豊臣秀次自刃、すぐに江戸発、7/20見付、7/23石部、7/24伏見で秀吉に謁した、8/8上洛、8/23伏見、10/2東福寺正統院、11/5京都
- 1596年|慶長元年|55歳
2/12大坂、伏見へ戻る、2/30堺の今井宗薫を訪ねる、3/16伏見、4/6京都にて本願寺真浄院へ、5/9豊臣秀吉・豊臣秀頼に従い伏見から京都へ、5/25伏見城で惣礼、7/25上洛、7/26伏見、9/5伏見発、江戸へ、12/15江戸から伏見へ、12/16大坂、12/18伏見
- 1597年|慶長2年|56歳
4/24京都、4/28伏見、5/7京都、5/8知恩院後、伏見、5/13大坂、5/14伏見、7/18知恩院、8/26上洛、8/28伏見、9/26上洛、9/30伏見、10/6上洛、10/8伏見、10/11上洛、10/12伏見、11/17伏見発、江戸へ
- 1598年|慶長3年|57歳
2月末江戸発、3/6岡崎、3/15伏見、4/15京都、4/22伏見、再び上洛、5/1伏見、8/18豊臣秀吉没す、11/19鷹野、12/19・24・25鷹野
- 1599年|慶長4年|58歳
1/10、豊臣秀頼の大坂移動に伴い大坂へ、1/12伏見、3/10伏見発、3/11大坂の前田利家を見舞い、3/12伏見、閏3/3前田利家没す、閏3/10石田三成が佐和山へ退去、閏3/13伏見の向島から伏見城西丸へ居を移す、4/19京都豊国社社参、6/21大坂、6/26伏見、8/14参内日帰り、8/18京都豊国社 9/7大坂へ、9/26大坂城西丸へ入り天守築造
- 1600年|慶長5年|59歳
2/25鷹野、4/17伏見城、4/18豊国社、施薬院泊、4/19参内、4/22大坂、5/19堺、5/21までに大坂 6/16、会津攻めのため大坂城を出て伏見城、6/17豊国社、6/18伏見城出陣、石部泊、6/19伊勢の関泊、6/20四日市、船で6/21三河佐久島、6/22横須賀、6/23浜松、6/24遠江中山を経て駿河島田泊、6/25清見寺、6/26三島、6/27小田原、6/28藤沢、6/29鶴岡八幡宮参拝、7/1神奈川、7/2江戸城、7/21江戸城発、7/24下野小山で伏見城落城の報を受ける 8/4、三奉行別心の報を受けて小山発、8/5江戸帰着 9/1江戸発、神奈川泊、9/2藤沢、9/3小田原、9/4三島、9/5清見寺、9/6駿河島田、9/7遠江中泉、9/8遠江白須賀、9/9三河岡崎、9/10尾張熱田、9/11清須から一宮、清須、9/13岐阜、9/14赤坂、9/15桃配山に陣、関ケ原の戦い開始、勝利、9/16佐和山、9/18佐和山城落とす、近江八幡、9/19草津、9/20大津城 9/26大津城発、淀泊、9/27大坂、大坂城本丸で秀頼と会い西丸へ
- 1601年|慶長6年|60歳
3/23大坂から伏見に移る、5/9上洛し施薬院に入り、5/11参内、5/16伏見へ戻る、8/8川狩り、8/16京都六条、10/6大坂で秀頼に暇乞い、10/7伏見、10/12伏見発、永原泊、10/13佐和山、10/14大垣、10/16岐阜、加納、10/25までに駿河、11/5江戸着、11/9忍・川越へ鷹野、12/4岩槻に鷹野
- 1602年|慶長7年|61歳
1/19江戸発、2/11草津、2/12頃大津、2/14伏見、3/13大坂、3/15伏見、4/28上洛して施薬院に入る、5/1参内、5/3相国寺豊光院の西笑承兌を訪ね、その後秀吉正室の高台院を訪ね、5/4伏見、8/28母於大の方が伏見城で死去、10/2伝通院参詣のため伏見発、江戸へ、11/3より前に江戸着、11/11忍で鷹野、11/26江戸発、路次中鷹野、12/21尾張熱田社、12/25伏見
- 1603年|慶長8年|62歳
2/4、秀頼への年頭の礼のため大坂下向、2/5伏見、2/12征夷大将軍に任命される、3/21上洛、二条城へ入る、3/25参内、4/16までに伏見、7/3上洛、二条城入り、7/13伏見、8/29上洛、知恩院屋敷を見分、10/18伏見発、11/3江戸
- 1604年|慶長9年|63歳
3/1江戸発、数日熱海で湯治、3/29近江矢橋から船で大津、伏見入り、6/10上洛して二条城、6/22参内、7/1伏見、閏8/14伏見発、9/13までに江戸着、10/12川越・忍で鷹野、11/21江戸
- 1605年|慶長10年|64歳
1/9江戸発、淋病のため駿府逗留、2/5駿府発、2/19伏見、4/8二条城入り、4/10参内、4/15伏見、4/16秀忠が征夷大将軍任命される、7/21上洛して二条城、7/29知恩院参詣、8/5相国寺西笑承兌を訪問、9/15伏見発、江戸へ、9/16佐和山、9/19美濃赤坂、9/20岐阜、9/21稲葉山で狩り、9/22加納、清須、9/25岡崎、10/1中泉で狩り、10/15中泉発、10/17田中、10/22田中発、10/28江戸、11/17川越・忍で鷹野、12/26江戸に戻る
- 1606年|慶長11年|65歳
3/15江戸発、3/20駿府、3/25遠江中泉、3/29岡崎、4/4水口を経て4/6伏見、4/28上洛、参内、伏見、7/27上洛して二条城に入る、8/6相国寺西笑承兌を訪問、8/11参内、8/12伏見、9/21伏見発、9/30白須加、10/6駿府、11/4江戸、11/21川越に鷹野、12/26江戸に戻る
- 1607年|慶長12年|66歳
2/29江戸発、相模中原へ鷹野、そのまま駿府へ、3/11駿府到着、7/3完成した駿府城へ移動、10/4駿府発、鷹野しながら10/14江戸城、11/1から浦和・川越・忍で鷹野、12/12駿府、12/22駿府城火事、12/24二の丸の本多正純の屋敷に移る
- 1608年|慶長13年|67歳
1/24田中に鷹野、駿府へ帰城、3/11再建された本丸へ移動、9/12関東で鷹野、武蔵府中で秀忠と面会、9/23までに江戸へ、12/2江戸発、12/8駿府着
- 1609年|慶長14年|68歳
1/7鷹野のため駿府発、田中、遠江中泉・浜松、三河吉田・吉良で鷹野、1/20岡崎、1/25清須、2/4岡崎、2/5岡崎発、2/11駿府帰城、10/26江戸へ下向途中今泉善徳寺まで来たが体調崩し、11/5三島から駿府へ帰る
- 1610年|慶長15年|69歳
1/9田中で鷹野、1/11相良で鷹野、1/13駿府へ、1/19田中、1/24遠江中泉、2/2中泉発、田中を経て2/4駿府、10/14駿府発、清水泊、10/15善徳寺、10/19三島、10/21鷹場で秀忠と対面、11/18江戸、11/27江戸発、中原を経て12/10駿府着
- 1611年|慶長16年|70歳
1/7駿府発、遠江で鷹野、田中泊、1/9榛原郡で鷹野、中泉に至り、1/17中泉発、駿府へ帰る、3/6駿府発、田中泊、3/7掛川、3/8浜松、3/9吉田、3/10岡崎、3/11-12名古屋、3/13岐阜、3/14赤坂、3/15近江彦根、3/16永原、3/17山科追分、上洛して二条城、3/23参内、3/28豊臣秀頼と二条城で会見、4/3伏見、4/5京都へ戻る、4/17知恩院詣で、4/18京都発、近江永原、4/19彦根、4/20柏原、4/21美濃、岐阜、4/22加納から尾張名古屋、4/23熱田から船、大荒れのため三河知多郡野間辺に寄せ、柿並村大御堂寺、4/24知多郡、4/25三河牟呂に船を寄せ、4/28駿府、8/28浅畑で狩り、9/24駿府近辺で鷹野、10/4駿府近辺で鷹野、10/5鷹野のため駿府発、10/7善徳寺、10/8三島、10/9小田原、10/10中原、10/12相模川辺、10/13藤沢、10/14神奈川で秀忠の迎えを受ける、10/15稲毛、10/16品川・芝、江戸に入る、10/21江戸近辺で鷹野、10/25増上寺詣で、10/26戸田へ鷹野、10/29川越に鷹野、11/5忍に泊、11/6鴻巣で秀忠と会い、11/8鷹野、11/13駿府へ向かう途中川越、11/14武蔵府中、11/15稲毛、11/16神奈川泊、11/18藤沢泊、11/19中原、11/20小田原泊、11/21三島、11/22今泉、11/23駿府、12/1と12/4駿府近辺で鷹野、12/8・10・11鷹野、12/15・16・18・20鷹野、12/21田中で鷹野、12/26駿府
- 1612年|慶長17年|71歳
1/7鷹野のため駿府発、田中泊、1/8遠江相良、1/9横須賀、1/10中泉、1/12浜名、1/13三河吉田、1/14吉良、1/20岡崎、1/26大樹寺参詣、1/27名古屋、1/29岡崎、2/3遠江堺川・二川山で鹿狩り、浜松、2/4中泉、2/9掛川、2/10金谷廻りで田中、2/11駿府、2/21鷹野、2/25・27鷹野、2/29・3/2・3・24「御山」で鷹野、8/13駿河瀬名谷に川狩り、閏10/2鷹野のため駿府発、江尻、閏10/12江戸、閏10/20江戸発、関東所々で鷹野、11/26江戸、12/2江戸発、鷹野、12/15駿府
- 1613年|慶長18年|72歳
1/5駿府近郊で鷹野、1/7鷹野のため田中、鳥が少なく駿府へ帰る、9/17鷹野のため駿府発、清水泊、9/18・19善徳寺、9/20三島、9/21小田原、9/22-24中原、9/25藤沢、9/26神奈川、9/27江戸、9/28・29鷹野、10/2葛西に鷹野、10/20浦和に鷹野、10/23川越、10/28川越から仙波、10/29川越、10/30忍、11/19忍から岩槻、11/20越谷、11/27越谷から葛西、11/29葛西から江戸城西丸、12/3江戸発、稲毛、12/5稲毛で鷹野、12/6中原、12/13稲毛、12/14江戸城西丸、12/24越谷・川越で鷹野、12/28江戸
- 1614年|慶長19年|73歳
1/7、上総東金で鷹野のため江戸発、葛西泊、1/8千葉、1/9東金、1/16東金発千葉、1/17葛西、1/18江戸、1/21江戸発、神奈川、1/22藤沢、1/23中原、1/24小田原、1/27三島、1/28善徳寺、1/29駿府帰城、2/10「御山」で鷹野、7/26方広寺大仏鐘銘に異を唱える 10/11駿府発、田中泊、10/12掛川、10/13中泉、10/14浜松、10/15吉田、10/16岡崎、10/17名古屋、10/19岐阜、10/20近江柏原、10/21佐和山、10/22永原、10/23二条城、11/15二条城発、奈良奉行の中坊秀政の屋敷に泊、11/16法隆寺阿弥陀院宿所、11/17住吉に陣、11/18茶臼山で秀忠と会い、藤堂高虎・本多正信を召して評定、11/19住吉、秀忠その他と評定、11/20戦闘開始、12/2茶臼山の秀忠に面会、大坂城の近辺を見て住吉に帰る、12/4前田利光、松平忠直、井伊直孝らが指示を待たず真田丸攻撃、撤退、12/6茶臼山へ陣へ移す、12/19二の丸・三の丸の堀の埋め立てなど条件で講和成立、12/25茶臼山発、二条城へ、12/28参内
- 1615年|元和元年|74歳
1/3京都発、膳所泊、1/4水口、1/5亀山、1/6桑名、1/7船で名古屋、1/8名古屋で鷹野、1/9岡崎、1/19吉良、1/27吉田、1/29浜松、1/30中泉、2/10相良、2/12田中、2/14駿府 4/4駿府発、田中泊、4/6中泉、4/7浜松、4/8吉田、4/9岡崎、4/10名古屋、4/15名古屋発、佐屋で船に乗り桑名へ、4/16亀山、4/17水口、4/18矢橋から大津まで船、二条城入る、5/5二条城発、河内筋を大坂に向かい河内星田、5/6平岡に陣、5/7平野天神森、茶臼山辺で合戦、一時真田信繁が家康本陣突入、茶臼山に入る、5/8秀頼自刃、淀君自害、茶臼山発、二条城へ入る、6/15参内、7/7秀忠の名で武家諸法度が申し渡される 8/4京都発、膳所泊、8/5矢橋で下船し水口泊、8/9亀山泊、8/10四日市から船で名古屋、8/13岡崎、8/14吉田、8/15-19中泉、8/20掛川、8/21-22田中、8/23駿府、9/14・18・21駿府近辺で鷹野、9/29江戸に向け駿府発、清水、10/1-2善徳寺、10/3三島、10/4小田原、10/5-7中原、10/8藤沢、10/9神奈川、10/10江戸城、10/21戸田に鷹野、10/25戸田から川越、10/30川越から忍、11/9忍から岩槻、11/10越谷、11/15越谷から葛西、11/16下総千葉、11/17上総東金、11/25東金から下総船橋、11/26葛西、11/27江戸着、12/4駿府に向け江戸発、稲毛、12/6中原、12/13小田原、12/14三島、12/15善徳寺、12/16駿府
- 1616年|元和2年|75歳
1/5駿府近辺に鷹野、1/21田中に鷹野、夜に痰がつまり床に伏す、田中滞在、1/25駿府、4/17死去
日付表記について:日本でグレゴリオ暦が正式に採用された1873/1/1を超えた人物は、グレゴリオ暦での日付を記載しています
参考文献
徳川家康
藤井讓治 / 吉川弘文館
徳川家康 弱者の戦略
磯田道史 / 文藝春秋
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