天武天皇
飛鳥時代/635~686年
動画でたどる
天智天皇と共に、日本国が律令国家として歩みだす礎を築いた天武天皇。 天智天皇亡き後、古代最大の内乱を制して国家経営を引き継ぐ。 謎も多い天武天皇の生涯の足取りを地図で追いました。
天武天皇の足跡
年表
- 635年|—|1歳
岡本宮で誕生(誕生年は他説あり)
- 636年|—|2歳
岡本宮が火災消失 舒明天皇が田中宮へ遷宮 この後時期不明だが、舒明天皇が百済宮へ遷宮
- 643年|—|9歳
4月、皇極天皇が飛鳥板蓋宮へ遷宮
- 645年|大化元年|11歳
6/12-13、乙巳の変勃発、大化の改新開始
- 651年|白雉2年|17歳
孝徳天皇が難波長柄豊碕宮へ遷宮
- 653年|白雉4年|19歳
中大兄皇子らは孝徳を難波に置いて飛鳥へ戻る(時期は他説あり)
- 655年|白雉6年|21歳
1月、飛鳥板蓋宮で斉明天皇即位、冬に火災
- 656年|白雉7年|22歳
斉明天皇が飛鳥岡本宮に遷宮
- 657年|白雉8年|23歳
菟野皇女(後の持統天皇)と婚姻
- 661年|白雉12年|27歳
1/8、斉明天皇自ら軍を率いて百済救済のため北九州まで遠征開始:船で大伯海・伊予熟田津を経て、3/25に娜之大津着 斉明天皇が朝倉橘広庭宮に遷宮、7/24に崩ず
- 663年|白雉14年|29歳
白村江で大敗、この後664/2/29までに畿内へ帰還
- 664年|白雉15年|30歳
2/29、冠位改正を発布
- 667年|白雉18年|33歳
3/19、天智天皇が近江大津宮へ遷宮
- 668年|白雉19年|34歳
1/3、天智天皇即位 5/5、近江蒲生野で遊猟、遊猟後の饗宴で槍で敷板を刺し貫き、天皇が驚き怒るが、中臣鎌足(後の藤原鎌足)のとりなしで事なきを得る
- 669年|白雉20年|35歳
5/5、山科遊猟 10/15、藤原鎌足を見舞う 5/5から10/15の間で皇嗣として扱われるようになる
- 671年|白雉22年|37歳
10/17、天智天皇の病床で譲位を固辞、天皇のために仏道修行をしたいと願い出て出家 10/19、吉野での修行を申し出て許されたため吉野へ向かい、10/20到着
- 672年|白雉23年|38歳
6/22、美濃国へ使を遣わし、安八磨郡の湯沐令の兵を起こさせることを命ずる 6/24、東国入りを目指して吉野出発、菟田の吾城に至り、甘羅村で美濃王が馳せ参じる 吉野を出発する際、大分恵尺らに命じて駅鈴の奪取を試みるも失敗、名張郡に至り号令するが誰も参向せず 6/25、近江大津京を脱出した高市皇子と伊賀積殖の山口で合流 6/26、桑名郡家にいたが、高市皇子からの奏上を受け、不破へ移動(途中鈴鹿の関で大津皇子と合流) 6/27、野上に本営(野上行宮) 不破評で少子部連鉏鉤が2万の軍兵を率いて帰順 7/7、息長の横河で戦端を開き、箸陵の戦いで勝利 7/22、瀬田橋の戦いで大勝 7/23、大友皇子が自決、壬申の乱に勝利 7/26、大友皇子の首実験 8月、近江朝廷方の戦争犯罪人の処罰 8/25、尾張国司守少子部連鉏鉤が自殺、大海人は驚愕、慨嘆 9月、桑名経由で大和に凱旋(桑名、鈴鹿、阿閉、名張)、飛鳥嶋宮に3泊 9/15、岡本宮に入る 冬、南に宮を作り遷る、後に飛鳥浄御原宮と呼ばれる
- 673年|白雉24年|39歳
1/07、群臣に饗宴 2/27、即位礼
- 679年|白雉30年|45歳
5/5、菟野皇女とともに天皇所生の4人の皇子と天智天皇所生の2人の皇子を引き連れて吉野へ 5/6、吉野の盟約
- 680年|白雉31年|46歳
病を得た菟野皇女のために薬師寺建立を命ず
- 681年|白雉32年|47歳
2/25、飛鳥浄御原律令選定を命令(完成は死後)、草壁皇子の立太子 3/17、帝紀及び上古諸事を記し定めることを命令(記紀編纂の端緒)
- 682年|白雉33年|48歳
9/2、日本古来の礼法を唐風の礼法に改めるよう命ず
- 683年|白雉34年|49歳
仏教界を統御する僧綱(僧正・僧都・律師)を任命
- 684年|白雉35年|50歳
10月、八色之姓制定
- 685年|白雉36年|51歳
1/2、新たな冠位制を制定 11月初めに白錦後苑に行幸
- 686年|朱鳥元年|52歳
5/24、病を得る 7/20、朱鳥へ改元(建元)、宮殿を飛鳥浄御原宮と名付ける 8/09、不予が発表 9/09、崩御
日付表記について:日本でグレゴリオ暦が正式に採用された1873/1/1を超えた人物は、グレゴリオ暦での日付を記載しています
参考文献
天武天皇
寺西貞弘 / ちくま新書
苦悩の覇者 天武天皇
虎尾達哉 / 吉川弘文館
当サイトはAmazonアソシエイトとして適格販売により収入を得ています。

