西郷隆盛

江戸時代 明治・大正時代/1828~1877年

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世界史的にも奇跡と言われる明治維新の立役者である西郷隆盛。 西欧諸国が全国に植民地を広げていく時代。 類まれな巨躯と学問を究めた頭脳で維新を断行した隆盛の生涯を追いました。

西郷隆盛の足跡

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足跡地域

足跡地

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    • 小根占
    • 西郷南洲翁宿所
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    • 城山
    • 西南戦争古戦場
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年表

  1. 1828年|文政11年|1歳

    1/23、鹿児島城下下加治屋町で生まれる

  2. 1839年|天保10年|12歳

    10月、妙円寺武者参りがきっかけの事件で横堀三助により右腕を負傷し、剣術を諦める 以後学問に傾倒

  3. 1844年|弘化元年|17歳

    苦しい家計を助けるため、郡奉行・迫田利済配下、郡方書役助として出仕

  4. 1847年|弘化4年|20歳

    郷中の二才頭となる

  5. 1850年|嘉永3年|23歳

    お由羅騒動で赤山靱負が切腹

  6. 1851年|嘉永4年|24歳

    3/4島津斉彬が藩主となる

  7. 1854年|安政元年|27歳

    1月、島津斉彬のお供に加わり鹿児島を出発、江戸へ 4月、御庭方役となる、藤田東湖に会う

  8. 1855年|安政2年|28歳

    橋本左内らと知り合い政治活動

  9. 1856年|安政3年|29歳

    8月、斉彬の密書を水戸藩徳川斉昭に持参 12月、篤姫が将軍に輿入れ、調度品を整える任につく

  10. 1857年|安政4年|30歳

    4月、参勤交代の帰途に肥後熊本藩の長岡堅物・津田山三郎と会う 5月、帰藩

  11. 1858年|安政5年|31歳

    1月、江戸へ 4月、篤姫から近衛忠煕への書簡を携えて京都入り、月照らと一橋慶喜擁立を図るが失敗 6/4、井伊直弼が大老となり7/29に日米修好通商条約調印、この年英仏露蘭とも同様の条約 7月、鹿児島に帰り松平慶永からの書簡を斉彬へもたらしすぐに上京 8/4、徳川家茂を将軍継嗣に決定(将軍宣下は1859/1/4) 8/24、島津斉彬急逝 9/14、戊午の密勅(密勅を近衛左大臣から尾張や水戸に届ける役割、江戸に赴くができずに京都へ戻る)、安政の大獄開始 10月、近衛家から保護を依頼された月照を伏見まで送る(月照は大坂から鹿児島へ送らせる) 10/22、再び上京 10/30、大坂出航、下関経由で11/11鹿児島へ 12/20、月照と鹿児島錦江湾で心中を図るも失敗、42日後(1859/1/31)に蘇生

  12. 1859年|安政6年|32歳

    1/31、蘇生 2/6、山川港出航、七島灘、名瀬 2/14、奄美大島龍郷村阿丹崎に到着、奄美大島に潜居開始

  13. 1860年|安政7年|33歳

    3/24、桜田門外の変で井伊直弼死亡

  14. 1861年|文久元年|34歳

    4月、和宮の江戸輿入れ、島津久光による公武周旋のため召喚状が来る

  15. 1862年|文久2年|35歳

    1月、坂下門外の変 2/12、阿丹崎を出帆、口永良部島・枕崎を経て3/12鹿児島へ 卒兵上洛を行う島津久光に「地ゴロ」と発言 上洛下準備として九州諸藩の形勢を調べて下関に前入り、4/11鹿児島発、4/20下関着 久光らを待たずに4/20大坂へ向け出航、4/27伏見 5/4に姫路についた久光が怒り、5/8に大坂から藩の天祐丸に乗せられ薩摩の山川港へ 5/21、寺田屋事件 7/7、徳之島への遠島のため山川出帆、屋久島一湊で風待ち、七島灘で漂流、奄美を経て7/28徳之島湾仁屋、岡前の松田勝仁宅 9/20、徳之島井之川へ移送、その後沖永良部島へ遠島、10/7伊延着、牢暮らしに

  16. 1864年|元治元年|37歳

    2月赦免、公武周旋と京都工作のため召喚 3/28、胡蝶丸で出航、大島龍郷に寄り、喜界島の村田新八を伴い帰還、4/4鹿児島着 4/9鹿児島発、4/19京都着、4/24軍賦役に任命 8/20、禁門の変で前線指揮して長州撃退 10月、大坂専称寺で勝海舟と会談 11/11征長軍参謀に任命 11/23大坂で征長総督徳川慶勝に長州処分を委任され、12/2岩国で長州代表吉川経幹と会見 引き返して(広島の国泰寺?)徳川慶勝に経過報告 12/14、首実験 12/19広島発、12/21小倉へ赴き副総督松平茂昭と薩摩藩総督島津久明に経過報告、第一次長州征伐を収拾

  17. 1865年|慶応元年|38歳

    1/8、長府で月形らと会見同日小倉へ(1/12功山寺決起、回天義挙) 2月、鹿児島へ戻る(帰る途中に太宰府で五卿と会い和議条件の遵守を見届ける、高杉晋作と会った説あり:平尾山にある野村望東尼の山荘) 2/23、いとと結婚、数日後に福岡、五卿の待遇改善 4月上京、5/25坂本龍馬と鹿児島へ帰る 幕府が長州再征計画、7月上京、朝廷工作 11月鹿児島へ戻り、12/2に小松帯刀と兵を率いて上京

  18. 1866年|慶応2年|39歳

    2/22、上京した桂小五郎を伏見に出迎え、2/23京都の二本松藩邸に入る 3/7(3/8説も)、京の室町通鞍馬口の小松帯刀邸で薩長同盟成る 4/18大坂出航、4/25鹿児島着 7/18開始の第二次長州征伐で幕府軍が惨敗(征伐期間西郷は薩摩) 徳川慶喜将軍阻止のための朝廷工作のため上京、叶わず12/5慶喜将軍宣下

  19. 1867年|慶応3年|40歳

    4/29、島津久光を奉じ精鋭を率いて上京 7/23薩土盟約、9月薩長芸同盟、10月薩土芸同盟 11/9倒幕の密勅(西郷は密勅を鹿児島へ持ち帰る)、11/10大政奉還 12/8、藩主島津茂久を奉じ卒兵して鹿児島発、三田尻 12/15大坂、12/18京都、西郷は精兵を率いて京都へ到着

  20. 1868年|明治元年|41歳

    1/3、薩土芸尾張越前の軍隊が御所へ、小御所会議、王政復古の大号令 1/27、鳥羽・伏見の戦い開始、勝利(西郷は1/27伏見、1/29八幡) 1/30、徳川慶喜江戸へ退去 2/3、大坂城の焼け跡を見て回る 東海道先鋒軍大総督府参謀として3月上旬に京都を出発、名古屋で先鋒隊と合流して東へ向かう 3/21箱根占拠、三島を本陣、静岡へ引き返す、3/26駿府着 小田原辺りで、4/1山岡鉄舟と面会、4/3江戸池上本門寺の本陣 4/5、高輪の薩摩藩下屋敷、芝田町札の辻の先の薩摩藩の蔵屋敷で勝海舟と事前交渉 4/6、高輪の薩摩藩邸で勝海舟と正式会見 4/7駿府、4/12京都、朝議説得、江戸無血開城成る 4/26に江戸城へ、5/3無血開城、徳川処分が決まらないため江戸発、海路大坂、京で会議、処分決定 7/4、彰義隊との上野戦争で黒門口攻撃を指揮、勝利 7月兵士欠乏を補うため鹿児島へ、京都で戦況報告後に藩主島津忠義に随行して7/28に京都発、8/2鹿児島へ、しばらく日当山温泉で湯治など養生 北陸道軍の戦況が思わしくなく西郷の出馬が要請 薩摩軍艦春日丸に乗り、9/17鹿児島発、北陸柏崎戦線へ(玄界灘から越後へ船)、9/25柏崎着 弟・西郷吉二郎の戦死を新発田藩松ヶ崎で知り、引きこもる 10/24頃出発、八十里越を通って山形に入る、米沢をもって11/7庄内を降伏へ(奥羽越平定)、12月中旬鹿児島へ帰り、日当山温泉場の山中に引きこもる

  21. 1869年|明治2年|42歳

    藩主の説得で鹿児島に戻り藩の参政職につく、4/7日当山から鹿児島へ帰る、藩政を行う 箱館戦争終結(6/10隆盛は軍艦で鹿児島出帆、東京、7/4箱館に着いた時には戦争は終結(6/27)していた、箱館上陸せず、帰りは東に回り一戸、金華山、鹿島灘、浦賀、そこから鹿児島へ帰る) 7月、賞典禄永世二千石を下賜されるも後に(1870/1)位階返上 8月武村に住み、薩摩藩参政として藩政改革にあたる

  22. 1870年|明治3年|43歳

    3/14長州藩へ赴き奇兵隊脱隊騒動の状を視察、毛利元徳謁見後鹿児島へ帰る

  23. 1871年|明治4年|44歳

    1月、岩倉具視らが勅使となり鹿児島へ、新政府安定のため出仕を促されて承諾 2月、「政府改革案」を持って上京(2/21出帆、2/27大久保と木戸を訪問し会談、3/6三田尻出航、3/7土佐着、山内豊範・板垣退助と会談、3/12神戸着、大坂で山縣有朋と会談、東京へ、3/28会談、御親兵創設を決める、初めは薩摩屋敷、その後日本橋小網町に移る)、この後鹿児島へ帰る(途中横浜で東郷平八郎を励ます) 常備隊四大隊五千人を率いて上京、6/8東京市ヶ谷旧尾張藩邸に駐屯 8/29、廃藩置県の詔書

  24. 1872年|明治5年|45歳

    1/1、岩倉らが遣欧使節として出発、留守政府始まる(幾度も東京と鹿児島を行き来) 6-8月に明治天皇の西国巡幸に随行(品川、横浜を出て、鳥羽、伊勢神宮、大阪、西本願寺、伏見、京都御所、建仁寺・知恩院・二条城、大坂城、下関、長崎、出島、熊本、熊本城、鹿児島、丸亀、崇徳・淳仁天皇陵、神戸、横浜、皇城) 9月、農民の職業自由が宣言、人身売買も禁止

  25. 1873年|明治6年|46歳

    1月、徴兵令公布、各地で徴兵令反対の血税一揆が起きる 6月から朝鮮問題、明治六年の政変が起こり下野、10/23辞表、10/28大久保と今生の別れ 米問屋・越後屋喜右衛門の別荘に隠れる 11/10、鹿児島に帰り武村で暮らす

  26. 1874年|明治7年|47歳

    2月佐賀の乱 3/1、江藤新平が来訪、3/2指宿まで見送る(2/15~30日間山川の鰻温泉) 6月頃、私学校設立

  27. 1876年|明治9年|49歳

    3月、廃刀令 8月、金禄公債証書発行条例公布 10月、士族反乱相次ぐ(10/24熊本新風連の乱、10/27福岡秋月の乱、10/28山口萩の乱)

  28. 1877年|明治10年|50歳

    2/1、大隅半島小根占にいたが、私学校生徒による火薬庫襲撃を聞き、鹿児島へ戻る 2/15、西南戦争開始 2/17鹿児島出陣、加治木・人吉を経て熊本へ、2/22世継宮着、本荘に本営 熊本城を包囲、3/1から田原坂の激戦、敗走 本営は3/16二本木、4/13木山、4/21矢部浜町、4/27人吉、5/31宮崎軍務所 8/2-8/9延岡大貫村、8/10から本小路、無鹿、長井村笹首、8/14長井村可愛 8/15に和田越の戦いで大敗 8/16、長井で朝敵に指定されたことを知り軍を解散 8/17可愛岳、突囲が成功し、9/1鹿児島に戻り、城山の洞窟に立てこもる 9/24総攻撃、岩崎谷口へ向かうが被弾、城山で自決

日付表記について:日本でグレゴリオ暦が正式に採用された1873/1/1を超えた人物は、グレゴリオ暦での日付を記載しています

参考文献

  • 素顔の西郷隆盛

    磯田道史 / 新潮新書

  • 工作員・西郷隆盛

    倉山満 / 講談社+α新書

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