松尾芭蕉
江戸時代/1644~1694年
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諸国を旅して俳聖となった松尾芭蕉。 現代まで読み継がれる俳句を作った芭蕉の足跡を追いました。
松尾芭蕉の足跡
足跡地域
足跡地
- 平泉
- 高館義経堂
- 中尊寺
- 岩沼
- 武隈の松
- 笠島
- 名取川
- 仙台
- 宮城野
- 榴ヶ岡
- 木ノ下
- 陸奥国分寺
- 榴岡天満宮
- 奥の細道
- 多賀城跡
- 野田の玉川
- 末の松山
- 籬島
- 鹽竈神社
- 松島
- 渡月橋
- 雄島
- 瑞巌寺
- 石巻
- 金華山
- 登米
- 尿前の関跡
- 象潟
- 能因島
- 蚶満寺
- 境田
- 旧有路家住宅
- 山刀伐峠
- 新庄
- 尾花沢
- 立石寺
- 大石田
- 本合海
- 清川
- 最上川
- 羽黒山
- 出羽三山神社
- 月山
- 湯殿山
- 正善院
- 鶴ヶ岡城跡
- 鶴岡
- 酒田港
- 酒田
- 鼠ヶ関
- 旗宿
- 白河関跡
- 須賀川
- 安積
- 文知摺観音
- 瀬上
- 大鳥城跡
- 医王寺
- 飯坂
- 大木戸
- 鹿嶋
- 根本寺
- 鹿島神宮
- 室の八島
- 日光
- 日光東照宮
- 裏見ノ滝
- 那須野
- 雲巌寺
- 殺生石
- 芦野
- 遊行柳
- 草加
- 粕壁
- 行徳
- 鎌ヶ谷
- 布佐
- 江戸
- 日本橋
- 神田川
- 千川上水
- 深川
- 深川芭蕉庵跡
- 隅田川
- 採荼庵跡
- 千住
- 市振関所跡
- 奈呉の浦
- 雨晴海岸
- 倶利伽羅峠
- 金沢
- 小松
- 多太神社
- 山中温泉
- 那谷寺
- 大聖寺
- 全昌寺
- 吉崎
- 汐越の松
- 松岡
- 天龍寺
- 永平寺
- 敦賀
- 敦賀港
- 氣比神宮
- 色ヶ浜
- 谷村
- 更科
- 善光寺
- 大垣
- 岐阜
- 島田
- 熱田
- 名古屋
- 鳴海
- 伊良胡崎
- 保美
- 新城
- 伊賀
- 松尾芭蕉翁生家
- 藤堂新七郎屋敷跡
- 菅原神社
- 桑名
- 伊勢神宮
- 杖衝坂
- 伊勢
- 長島
- 大智院
- 中村
- 荒木田守武墓所
- 久居
- 宇治山田
- 二見浦
- 大津
- 膳所
- 義仲寺
- 幻住庵
- 堅田
- 彦根
- 清水寺
- 京都
- 嵯峨
- 落柿舎
- 大阪
- 久太郎町
- 松尾芭蕉翁終焉の地
- 須磨
- 明石
- 奈良
- 吉野
- 竹内
- 高野山
- 和歌浦
年表
- 1644年|正保元年|1歳
伊賀上野の百姓町松尾与左衛門家に次男として誕生説(赤坂町)
- 1655年|明暦元年|12歳
父が死去、兄の松尾半左衛門が跡を継ぐ 10代後半に藤堂新七郎家に奉公(抜きんでた学才のため若様(蟬吟)の勉強相手の小姓?台所用人?) 嫡子藤堂良忠が俳諧を好んでおり、話し相手となった芭蕉も俳諧を行うようになる
- 1664年|寛文4年|21歳
重頼編「佐夜中山集」に宗房号で入集し、俳壇に登場 「月ぞしるべこなたへ入せ旅の宿」
- 1666年|寛文6年|23歳
藤堂良忠が25歳で早世
- 1672年|寛文12年|29歳
発句合の「貝おほひ」を作り、菅原道真公770年忌の1/25に伊賀上野天満宮の菅原神社に奉納 発願成就のため清水の音羽の滝の7日の水垢離修行 伊賀上野から江戸に移住、「貝おほひ」刊行 移住後は日本橋大船町などで町名主を務める小沢太郎兵衛の手伝いをしていたらしい 小田原町で小沢家所有の賃家に入り、卜尺の世話になっていた
- 1675年|延宝3年|32歳
5月、宗因が出座する百韻一巻に参加、桃青の号を用いる
- 1676年|延宝4年|33歳
伊賀上野に帰郷
- 1677年|延宝5年|34歳
この年か1678年に念願であった俳諧宗匠として独立 この頃、神田川の浚渫工事に関与、担当だった千川上水工事の堀普請が中止 酒井忠清失脚により藤堂高久も権力を失い、水道工事役人を免職、隠密のサポート役に左遷?
- 1678年|延宝6年|35歳
春「桃青三百韻」刊行 冬「塩にしてもいざことづてん都鳥」
- 1680年|延宝8年|37歳
冬、日本橋の住居を引き払い、深川芭蕉庵在住
- 1681年|天和元年|38歳
7月「俳諧次韻」を上梓
- 1682年|天和2年|39歳
3月「むさしぶり」刊行、はじめて芭蕉の号が使われる 12/28大火で庵類焼、隅田川を渡り命からがら対岸へ、九死に一生を得る 12/29~1683冬まで所在地不明 「櫓の声波ヲうつて腸氷ル夜やなみだ」 「芭蕉野分して盥に雨を聞夜哉」
- 1683年|天和3年|40歳
6月「みなしぐり」刊行 夏、甲斐国谷村の国家老高山伝右衛門を訪れて滞在 この前後に深川に庵を設けて滞在していた仏頂和尚から禅を学ぶ 冬、新芭蕉庵の深川芭蕉庵へ
- 1684年|貞享元年|41歳
8月中旬から約8か月の「野ざらし」の旅:同行者は千里 東海道を上り、伊勢参宮をすませて伊賀上野、大和・吉野・山城から美濃に入って大垣を訪れ、木因の仲介で桑名・熱田・名古屋を訪問、伊賀で越年
- 1685年|貞享2年|42歳
奈良・京都を巡り、甲州街道を使って帰江、1685/4末に深川戻る 「野ざらしを心に風のしむ身哉」 「道のべの木槿は馬にくはれけり」 「春なれや名もなき山の薄霞」 「海くれて鴨の声ほのかに白し」 4月末~深川芭蕉庵 「冬の日」刊行?
- 1686年|貞享3年|43歳
「野ざらし紀行」執筆開始? 「古池や蛙とび込水の音」 「名月や池をめぐりて夜もすがら」 「初雪や水仙の葉のたはむまで」
- 1687年|貞享4年|44歳
8/14から数日間、「鹿島詣」の旅:曾良と宗波を伴う 船路で行徳に出て、鎌谷から布佐まで歩き、舟で鹿島へ入る、15日夜に根本寺に宿る、鹿島神宮にも参詣、行徳に自準を訪ねて帰江、「かしまの記」「鹿島詣」が8/25までに成る 10/25から約10か月に及ぶ「笈の小文」「更科紀行」の旅 尾張の鳴海・熱田・名古屋・保美、三河伊良胡崎に蟄居中の杜国を見舞い、岐阜を経て伊賀上野に帰郷、越年 伊賀への帰途、杖衝坂で落馬
- 1688年|元禄元年|45歳
藤堂新之助(号は探丸)家で俳句の宴 2月に伊勢参宮、3月伊勢で杜国と落合、吉野行脚をともにしたあと、高野山、和歌の浦、奈良(竹ノ内村訪問)、大坂から須磨、明石と巡遊して、京から岐阜へ さらに越人を伴って信州更科で月見、善光寺参詣してから中仙道を使って帰江、8月下旬に深川着 「旅人と我名よばれん初しぐれ」 「ごを焼て手拭あぶる寒さ哉」 「冬の日や馬上に氷る影法師」 「いざ行む雪見にころぶ所まで」 「徒歩ならば杖つき坂を落馬哉」 「旧里や臍の緒に泣としの暮」 「さまざまの事おもひ出す桜哉」 「蛸壺やはかなき夢を夏の月」 8月下旬から深川芭蕉庵 9/13、芭蕉庵で後の月鑑賞 12/17、芭蕉庵で「深川八貧」の句会
- 1689年|元禄2年|46歳
2月末芭蕉庵譲渡、1か月杉風の庵(採荼庵)に滞在 3/27から約5か月に及ぶ「細道」の旅に曾良を伴い出立 「草の戸も住替る代ぞひなの家」 3/27明け方深川発、千住まで舟、早加、初日宿所は粕壁 「行春や鳥啼魚の目は泪」 室の八島、4/1東照宮参詣、日光山麓で宿 「あらたうと青葉若葉の日の光」 裏見の滝の岩窟で「暫時は滝に籠るや夏の初」 那須野を越え、黒羽の前の古墳、那須与一ゆかりの神社、雲岸寺(雲巌寺)、光明寺 「夏山に足駄を拝む首途哉」 「木啄も庵はやぶらず夏木立」 馬で殺生石に向かう 「野を横に馬牽むけよほととぎす」 芦野の里の遊行柳 「田一枚植て立去る柳かな」 白河関址、須賀川 「風流の初やおくの田植うた」 「世の人の見付ぬ花や軒の栗」 安積、信夫の里 「早苗とる手もとや昔しのぶ摺」 瀬上で5/1佐藤元治の旧館 「笈も太刀も五月にかざれ紙幟」 飯塚泊 伊達の大木戸、岩沼の武隈の松、笠島の郡 「桜より松は二木を三月越シ」 「笠島はいづこさ月のぬかり道」 名取川を渡り5/4仙台へ、宮城野、玉田、横野、榴ヶ丘、木下、伊達政宗が修造した薬師堂、伊達綱村が新造した天神社 「あやめ草足に結ん草鞋の緒」 奥の細道、壺碑、野田の玉川や沖の石、末の松山、塩竃の浦、籬が島、5/10塩竃明神、舟で松島、渡月橋、雄島の磯、雲居禅師の住居跡 「島々や千々にくだきて夏の海」 5/11瑞巌寺、5/12平泉へ向かう、石巻という港、海上に金華山、登米で一宿、平泉(高館) 「夏草や兵どもが夢の跡」 中尊寺、光堂、経堂 「五月雨の降のこしてや光堂」 尿前の関、新庄領境田の庄屋の有路家に二泊 「蚤虱馬の尿する枕もと」 山刀伐峠、最上の庄、尾花沢の清風邸 「涼しさを我宿にしてねまる也」 「這出よかひやが下のひきの声」 「まゆはきを俤にして紅粉の花」 立石寺 「閑さや岩にしみ入蝉の声」 大石田、陸路で新庄、元合海から清川まで舟(最上川) 「五月雨をあつめて早し最上川」 出羽三山、6/3羽黒山、6/5羽黒権現社、6/6月山、6/7湯殿山、6/8南谷、南谷の別院に宿、6/9?本坊で俳諧興行 「有難や雪をかほらす南谷」 「涼しさやほの三か月の羽黒山」 「雲の峰幾つ崩て月の山」 「語られぬ湯殿にぬらす袂かな」 鶴岡城下、川舟で酒田の港に下る 「あつみ山や吹浦かけて夕すずみ」 「暑き日を海にいれたり最上川」 酒田から北上し象潟、舟で遊覧、能因島、神功皇后の御陵、干満珠寺、汐越 「象潟や雨に西施がねぶの花」 「汐越や鶴はぎぬれて海涼し」 酒田に戻り北陸道を南下、鼠の関を越えて越後へ、市振の関 7/6「文月や六日も常の夜には似ず」 「荒海や佐渡によこたふ天河」 「一家に遊女もねたり萩と月」 那古という浦、加賀の国、有磯海を見渡す 「わせの香や分入右は有磯海」 卯の花山、倶利伽羅峠、7/15金沢着 「塚も動け我泣声は秋の風」 「秋涼し手毎にむけや瓜茄子」 「あかあかと日は難面もあきの風」 「しほらしき名や小松吹萩すすき」 小松、多太神社 「むざんやな甲の下のきりぎりす」 山中温泉、再び小松に入る前に那谷の観音堂 「石山の石より白し秋の風」 「山中や菊はたおらぬ湯の匂」 「今日よりや書付消さん笠の露」 大聖寺、全昌寺に泊まる 「庭掃て出ばや寺に散柳」 加賀と越前の境、吉崎という入江を舟で渡り、汐越の松を見る、松岡の天竜寺 「物書て扇引さく余波哉」 永平寺礼拝 洞哉宅、敦賀、8/14夕に敦賀の港、気比神宮に夜参 「月清し遊行のもてる砂の上」 8/15「名月や北国日和定なき」 8/16種の浜 「寂しさや須磨にかちたる浜の秋」 「浪の間や小貝にまじる萩の塵」 美濃に入り馬の助けを借りて大垣で「細道」の旅終結 以後約2年は上方に滞在し「猿蓑」完成:曾良が山中まで、松岡まで北枝、福井から敦賀まで洞哉、敦賀から大垣まで路通 大垣の如行宅に滞在 9/4大垣藩家老格戸田如水宅で如水と対面 9/6伊勢参宮のため大垣を出船 9/6舟で大垣を後に二見が浦に向かう 「蛤のふたみに別行秋ぞ」 伊勢で長島の大智院に逗留、久居をへて山田、内宮・外宮参拝 9月下旬に伊賀上野に帰郷 「初しぐれ猿も小蓑をほしげ也」 11月下旬奈良、京都で去来宅に滞在、「不易流行」の教えを説くように 12月京から近江、大津の智月や膳所の曲水を訪ね、木曾義仲を祀った義仲寺で越年
- 1690年|元禄3年|47歳
歳旦吟「薦を着て誰人います花の春」 1/4から帰郷 3月ふたたび膳所で滞在 「木のもとに汁も膾も桜哉」 「行春を近江の人とおしみける」 「猿蓑」発企 夏、近江石山近くの国分山の幻住庵に滞在(4/8入庵)、「幻住庵記」 6月初めに一時的に京、6/18まで凡兆の家に滞在 7/23庵を引き払い、大津へ、8月中に「幻住庵記」最終稿、8/15義仲寺で月見の句会、9月に堅田に赴く、9月末に伊賀に再帰郷、11月は京、12月は近江、義仲寺で越年
- 1691年|元禄4年|48歳
3月まで伊賀に過ごす間に、奈良で薪能見物、4/18嵯峨の落柿舎に入り、5/4まで過ごし句日記「嵯峨日記」執筆、凡兆宅に移り、7/3に「猿蓑」刊行 「人に家をかはせて我は年忘」 「粽結ふかた手にはさむ額髪」 「頓て死ぬけしきは見えず蝉の声」 京や近江で俳交が続き、9/28桃隣を伴い義仲寺を出て帰途に就く、彦根・大垣・熱田・三河新城・島田をへて10/29江戸着 10/30から日本橋橘町で仮寓
- 1692年|元禄5年|49歳
5月中旬から深川新芭蕉庵、「かるみ」の実践に励む
- 1693年|元禄6年|50歳
「奥の細道」執筆開始(1694/4に西村本完成) 3月に甥の桃印が病死、7月には自身が猛暑で衰弱、1か月保養生活 「菊の花咲や石屋の石の間」 「鞍壺に小坊主乗るや大根引」
- 1694年|元禄7年|51歳
5/11~約5か月に及ぶ上方方面への最後の旅(中国・九州を目指す):次郎兵衛を連れて 島田・名古屋・伊勢を通って5/28伊賀上野着、7月中旬ふたたび帰郷、9/8伊賀を発って奈良に入り、9/9大坂へ移動、体調を崩しがちとなる 「此秋は何で年よる雲に鳥」 「此道や行人なしに秋の暮」 「月澄や狐こはがる児の供」 9/29泄痢のため臥床、10/5それまで滞在した之道宅から久太郎町御堂前の貸座敷である花屋へ病床が移される 10/8「旅に病で夢は枯野をかけ廻る」 10/10容体急変、10/12午後4時頃に永眠
日付表記について:日本でグレゴリオ暦が正式に採用された1873/1/1を超えた人物は、グレゴリオ暦での日付を記載しています
参考文献
松尾芭蕉と奥の細道
佐藤勝明 / 吉川弘文館
伊賀の人・松尾芭蕉
北村純一 / 文藝春秋
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