北里柴三郎
江戸時代 明治・大正時代/1853~1931年
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日本近代医学の父と呼ばれ、千円札の顔となっている北里柴三郎は、いったいどんな土地を踏みしめて生きたのか。 江戸幕末から明治維新を経て、昭和までの激動の時代を生きた柴三郎。 その生涯の足取りを地図で追ってみました。
北里柴三郎の足跡
足跡地域
足跡地
- 日光
- 日光金谷ホテル
- 旧東京医学校
- 霞が関
- 伝染病研究所跡
- 帝国ホテル
- 国立博物館
- ドイツ大使館
- 小石川植物園
- 浅草寺
- 堀切菖蒲園
- 皇居
- 日本橋倶楽部
- 北里研究所
- 慶応義塾大学
- 日本医師会
- 横浜港
- 逗子
- 鎌倉
- 箱根
- 富士屋ホテル
- 新潟
- 長良川
- 伊東
- 名古屋
- 宇治山田
- 京都
- 都ホテル
- 神戸
- 奈良
- 菊水楼
- 厳島神社
- 長崎
- 北里柴三郎生家
- 熊本城
- 熊本大学
- 豊後森
- ニューヨーク
- ワシントン
- フィラデルフィア
- サンフランシスコ
- セントルイス
- モントリオール
- バンクーバー
- シンガポール
- コロンボ
- 上海
- 香港
- 長春
- 奉天
- ロンドン
- ベルリン
- フンボルト大学ベルリン
- コッホ研究所
- ハーグ大学
- ベルゲン
- ブタペスト
- マルセイユ
- パリ
- パスツール研究所
年表
- 1853年|嘉永6年|1歳
1/29、肥後国阿蘇郡小国郷北里村で誕生
- 1858年|安政5年|6歳
8月、安政のコレラ流行で弟二人が亡くなる
- 1859年|安政6年|7歳
8月、安政のコレラ流行で妹が亡くなる
- 1861年|文久元年|9歳
小国郷志賀瀬村の親戚で皇漢医の橋本淵泉の家に預けられる
- 1863年|文久3年|11歳
母の実家、豊後森の久留島藩藩士の祖父、加藤海助に寄宿
- 1866年|慶応2年|14歳
熊本城下へ出る
- 1869年|明治2年|17歳
春、細川藩藩校の時習館へ入学
- 1870年|明治3年|18歳
時習館廃校のため帰郷、安田退三宅で書生
- 1871年|明治4年|19歳
6月、古城医学校に入学(1872年に熊本医学校へ名称変更)
- 1874年|明治7年|22歳
7月、熊本医学校を卒業、熊本を出る
- 1875年|明治8年|23歳
11月、東京医学校入学
- 1883年|明治16年|31歳
4月、乕と結婚、東京大学医学部を卒業、内務省衛生局に出仕
- 1885年|明治18年|33歳
2月、衛生局東京試験所を兼務 8月、赤痢調査のため長崎へ、8月末に帰京 9/20、長崎にコレラ上陸、調査のため長崎着、日本で初めてコレラ菌を確認 9/24、帰京 11/14、ドイツ留学のため横浜港を出発
- 1886年|明治19年|34歳
1月、フランスマルセイユ着、鉄道でパリを経由しベルリン着、ベルリン大学衛生研究所コッホ研究所へ
- 1889年|明治22年|37歳
破傷風菌純粋培養成功
- 1890年|明治23年|38歳
破傷風抗毒素発見、血清療法確立
- 1891年|明治24年|39歳
8月、オランダに寄って、ロンドンで会議
- 1892年|明治25年|40歳
3/28、ベルリンを出発 3/29、パリ着 3/30、パスツール研究所訪問 4/04、パリ発、ロンドン着 4/22、ニューヨーク着 4/30、ワシントン着 5/02、フィラデルフィア着 5/06、ニューヨークからカナダのモントリオールへ、バンクーバーに1週間滞在 5/15、日本へ出発 5/28、横浜港到着 11/19、内務省内務技師復職 12/03、大日本私立衛生会附属伝染病研究所開所
- 1893年|明治26年|41歳
8月、ツツガムシ病調査のため新潟へ
- 1894年|明治27年|42歳
6/5、ペスト発生の香港に政府調査団として派遣、横浜港出発 6/12、香港到着 6/13、ケネディタウン病院を選ぶ 6/18、ペスト菌発見 7/30、帰国 12/27、内務省を依願免官、大日本私立衛生会附属伝染研究所所長業務に専念
- 1896年|明治29年|44歳
11月、神戸でペスト調査
- 1904年|明治37年|52歳
9月、アメリカセントルイスで会議に日本代表で出席
- 1908年|明治41年|56歳
6/12、コッホ来日、8/24まで74日間つきっきりで歓迎 6/12、横浜港、帝国ホテル 6/13、上野博物館 6/14、ドイツ大使館、陸軍省に表敬訪問、華族会館で歓迎会 6/16、東京上野でコッホの講演会 6/17、伝染病研究所を見学 6/19、小石川植物園 6/21、逗子から葉山海岸、師臨閣で遊ぶ 6/22、浅草観音、花屋敷、堀切菖蒲園 6/23、横浜のドイツ領事館とドイツ海軍病院訪問 6/24、伝染病研究所再訪、ドイツ大使館で夜会 6/25、皇居参内、明治天皇に謁見、北里邸で晩餐会 6/26、日本橋倶楽部で相撲見学 6/27、汽車で日光、金谷ホテル 7/01、帰京 7月、鎌倉海浜院ホテル、北里自慢の伊東の別荘など その後は箱根の富士屋ホテル、名古屋の名古屋ホテル、伊勢山田の五二ホテル、奈良の菊水楼、京都の京都ホテルと都ホテル、宮島のミカドホテルなど 途中長良川の鵜飼い見学、瀬戸内で遊覧船の紅葉丸貸し切り、広島厳島神社 8/20-24、横浜オリエンタルホテルで別れを惜しむ
- 1909年|明治42年|57歳
8月、シベリア鉄道でノルウェーのベルゲンで講演 9月、ハンガリーブタペストで発表 その後ベルリンへ、コッホ再会 11月、帰国
- 1911年|明治44年|59歳
長春、奉天を巡視、奉天で会議開催
- 1914年|大正3年|62歳
11/5、依願免官、北里研究所設立、所長就任
- 1915年|大正4年|63歳
10月、恩賜財団済生会芝病院初代院長
- 1916年|大正5年|64歳
北里村に北里文庫設立 12/26、貴族院議員に任ぜられる
- 1917年|大正6年|65歳
4/1、慶応義塾大学部医学科科長
- 1923年|大正12年|71歳
11月、日本医師会設立、初代会長に就任
- 1931年|昭和6年|79歳
6/13、自宅で脳溢血のため逝去
日付表記について:日本でグレゴリオ暦が正式に採用された1873/1/1を超えた人物は、グレゴリオ暦での日付を記載しています
参考文献
北里柴三郎 よみがえる天才7
海堂尊 / ちくまプリマー新書
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