葛飾北斎
江戸時代/1760~1849年
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世界を変えた絵師、葛飾北斎。 類稀な才能を持つ北斎の足跡を追いました。
葛飾北斎の足跡
年表
- 1760年|宝暦10年|1歳
9/23、下総国本所割下水で川村氏の子として誕生?
- 1763年|宝暦13年|4歳
叔父にあたる幕府御用鏡師中島伊勢の養子となるが後に実子に家督を譲り川村家に戻る?
- 1765年|明和2年|6歳
作画へ興味
- 1771年|明和8年|12歳
1771-1772の頃、貸本屋の小僧として働く?
- 1773年|安永2年|14歳
1773-1774の頃、彫刻家某の下で木版印刷の版木彫りの工房に入門 入門後数年にして洒落本「楽女格子」の文字彫りを一部担当するなど非凡な才を発揮
- 1778年|安永7年|19歳
彫師を辞し、浮世絵師勝川春章に入門
- 1779年|安永8年|20歳
勝川春朗名で作品を発表し始める(画界デビュー) 「岩井半四郎のかしく」 「瀬川菊之丞政宗娘お連」
- 1780年|安永9年|21歳
黄表紙など挿絵分野に進出
- 1781年|天明元年|22歳
洒落本や噺本に進出
- 1782年|天明2年|23歳
三田台町に居住?
- 1785年|天明5年|26歳
群馬亭と号する
- 1787年|天明7年|28歳
小伝馬町に居住?
- 1788年|天明8年|29歳
1788-1789、「浮絵 東叡山中堂之図」
- 1789年|寛政元年|30歳
浮絵、美人画、武者絵などにも進出
- 1790年|寛政2年|31歳
葛飾に居住?
- 1792年|寛政4年|33歳
師・勝川春章没する
- 1793年|寛政5年|34歳
1793-1794頃、御用絵師狩野融川に請われ日光東照宮の改修チームに加わるが、宇都宮で融川の書いた絵を酷評しクビになり江戸に帰る 「冷水売り図」 「鍾馗図」
- 1794年|寛政6年|35歳
春朗号を廃して号を門人の豊丸(二世春朗)へ譲り渡し勝川派を離脱 二代目俵屋宗理を襲名?
- 1795年|寛政7年|36歳
正月、宗理という新たな落款で作品発表開始 1795-1796頃、浅草大六天神脇町に居住?
- 1797年|寛政9年|38歳
「「柳の絲」江島春望」
- 1798年|寛政10年|39歳
宗理号を門人宗二に譲り(俵屋に返上)、北斎辰政と号して独立(師造化の印) 1798か1800年頃、本所林町三丁目甚兵衛店に居住? 長崎屋に逗留中のカピタンの依頼で絵巻を描く? 「亀図」
- 1799年|寛政11年|40歳
不染居北斎の号あり 2月、三囲稲荷の開帳に提灯と扁額を描く
- 1801年|享和元年|42歳
1801か1800頃、山手か山下に居住? 1801-1804「風流無くてななくせ「遠眼鏡」」 「新板浮絵忠臣蔵「初段鶴が岡」」
- 1802年|享和2年|43歳
「「画本東都遊」王子海老屋」 「「画本東都遊」駿河町越後屋」 「美やこ登里」
- 1803年|享和3年|44歳
閏1月、大田南畝や名和氏に招かれて席画 3月、大田南畝や烏亭焉馬に招かれて亀沢町の竹垣氏別荘で席画をする
- 1804年|文化元年|45歳
4月、江戸音羽の護国寺で120畳大の大達磨半身像を描く 曲亭馬琴の読本「小説比翼文」の挿絵、以後馬琴との共作が続く
- 1805年|文化2年|46歳
九々蜃の号あり 「新編水滸画伝」
- 1806年|文化3年|47歳
春から夏にかけて曲亭馬琴宅に寄宿 6月頃、上総国木更津に旅 上総国長須賀村の名主水野清右衛門は日枝神社の境内で絵を描いている北斎を家に招く(伝承の部分も多い)、清右衛門家に逗留したのは事実、大絵馬を日枝神社に奉納 本年頃、葛飾北斎と号す
- 1807年|文化4年|48歳
亀毛蛇足の印を用いる 「「そののゆき」前編」 「馬琴「鎮西八郎為朝外伝椿説弓張月」前編」 1807-1808頃「酔余美人図」 1807-1810頃「潮干狩図」
- 1808年|文化5年|49歳
8月、亀沢町に新宅を構え(唯一の新宅、あとは借家:一生で93回引っ越し)、柳橋河内屋半二郎の楼で書画会を催す 柳亭種彦による「近世怪談 霜夜星」挿絵
- 1809年|文化6年|50歳
本所両国橋辺に居住? 「忠孝潮来府志」
- 1810年|文化7年|51歳
1月、両国三河屋にて馬琴が催した書画会に出席 1月頃から戴斗号を用いる? 市村座顔見世狂言の看板絵を描く? 本年、葛飾に居住?
- 1811年|文化8年|52歳
曲亭馬琴と議論、ついには絶交に至る 本年、甲州に旅?
- 1812年|文化9年|53歳
秋頃、名古屋に滞在(門人牧墨僊宅に数か月滞在) 「北斎漫画」の下絵を描く 名古屋の後関西にも旅行 「略画早指南」 「北斎漫画早指南」
- 1813年|文化10年|54歳
4月、亀毛蛇足の印を門人北明に譲る 「鯉魚図」
- 1814年|文化11年|55歳
正月、名古屋版元永楽屋東四郎から絵手本として「北斎漫画」出版 「北斎写真画譜」 (紀州へ旅?)
- 1815年|文化12年|56歳
春頃、蛇山に居住? 「「踊独稽古」悪玉おどり」
- 1816年|文化13年|57歳
「三体画譜」
- 1817年|文化14年|58歳
10月、名古屋西掛所境内で120畳大の大達磨半身像を描く 「画本早引前編」
- 1818年|文政元年|59歳
2-3月頃、紀州へ旅? 「東海道名所一覧」
- 1819年|文政2年|60歳
戴斗号を門人斗円楼北泉に譲る? 「画本早引後編」 「北斎画式」
- 1820年|文政3年|61歳
本所緑町に居住? 為一と名乗る
- 1821年|文政4年|62歳
11月、娘(四女阿猶?)が没する
- 1822年|文政5年|63歳
長女阿美与と門人柳川重信が離縁
- 1823年|文政6年|64歳
12月頃から川柳の会に盛んに出、川柳の号に卍を使う
- 1825年|文政8年|66歳
本年、甲州方面へ旅?(詳細不明)
- 1827年|文政10年|68歳
1827か1828頃、中風を患うが自家製の薬で回復?
- 1828年|文政11年|69歳
6月、後妻こと女が没する
- 1829年|文政12年|70歳
春頃、孫(柳川重信の子)が度々悪事を行い、その尻拭いをするという
- 1830年|天保元年|71歳
1月、孫を父親に引き渡し、上州高崎より奥州へ連れて行かせる 1月頃、浅草明王院地内五郎兵衛店に居住?
- 1831年|天保2年|72歳
本年、西村屋与八の広告に「冨嶽三十六景」が見える 「冨嶽三十六景」:「凱風快晴」「山下白雨」「駿州江尻」「神奈川沖浪裏」など 「鎌倉 江ノ嶋 大山 新板往来双六」 「百物語「お岩さん」」 1831-1832、「牡丹に蝶」 「百物語「さらやしき」」
- 1832年|天保3年|73歳
閏11月、もと娘婿の柳川重信が没する
- 1833年|天保4年|74歳
本年、西村屋与八の広告に「諸国瀧廻り」が見える 「諸国瀧廻り」:「和州吉野義経馬洗滝」「下野黒髪山きりふりの滝」など 1833-1834「諸国名橋奇覧 飛越の堺つりはし」 1833-1834「千絵の海 五島鯨突」
- 1834年|天保5年|75歳
冬頃、相州浦賀に潜居(1836頃まで)?(翌春頃とも) 本年までの転居回数は56回という、画狂老人卍と名乗る 「冨嶽百景」初編発表
- 1835年|天保6年|76歳
本年、相州・豆州に旅する 「鳳凰図」
- 1836年|天保7年|77歳
3月頃、深川万年橋近辺に居住?
- 1839年|天保10年|80歳
本年、本所の石原片町と達磨横町に住すという 達磨横町で初めて火災に遭う
- 1840年|天保11年|81歳
本年、房総方面へ旅?
- 1842年|天保13年|83歳
本年、本所亀沢町に居住?
- 1843年|天保14年|84歳
本年までの転居回数は60回という 「南瓜花群虫図」
- 1844年|弘化元年|85歳
2月頃、向島小梅村に居住 本年、浅草寺前に居住?
- 1845年|弘化2年|86歳
本年、番場町と本所荒井町に居住? 長野・小布施へ旅行(生涯で4度?:倉賀野まで舟、そこから軽井沢経由で小布施?) 「釈迦御一代記図会」
- 1846年|弘化3年|87歳
春頃、西両国に居住?
- 1847年|弘化4年|88歳
1月頃、田町1丁目に居住?、浅草に転居 「赤壁の曹操図」
- 1848年|嘉永元年|89歳
本年までの転居回数は93回に及ぶという 93度目の転居で浅草聖天町に居を移す 「「画本彩色通」初編」
- 1849年|嘉永2年|90歳
「骸骨図」 春頃、病床に臥す 4/18午前4時頃、没する(浅草の遍照院境内の仮宅) 「富士越龍図」
日付表記について:日本でグレゴリオ暦が正式に採用された1873/1/1を超えた人物は、グレゴリオ暦での日付を記載しています
参考文献
もっと知りたい葛飾北斎 生涯と作品 改訂版
永田生慈 / 東京美術
HOKUSAI NOTE 北斎ノート
安村敏信・浦島茂世 / STARDUST HD.
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